|
向島百花園創設200周年呼びかけ
四季折々の花々に彩られ、多くの人々に親しまれてきた名園・向島百花園が、今年めでたく創設200周年を迎えることになりました。
向島百花園は、江戸の町民文化が花開いた文化文政時代、芝居茶屋に奉公し、その後骨董商を営んだ佐原鞠塢が、江戸庶民の行楽地である「墨堤」にほど近い場を選び、梅園として拓かれました。やがて交遊のあった文人墨客とともに万葉集由来の草花などを揃え、四季折々の賑わいを楽しめる庭となってゆきました。粋人であった鞠塢の周りには、太田南畝(狂歌)、大窪詩仏(漢詩人)、酒井抱一(画家・俳諧)、加藤千陰(国学者)、川上不白(茶人)、谷文晁(画家)など、江戸の文化を先導する人々が集っていました。
その後11代将軍家斉公をはじめ、多くの貴人とともに庶民の遊ぶ庭として、江戸・明治の興隆を見ましたが、近代産業の発達とともに風光明媚の墨東の環境も変わり、度重なる洪水などの被害も受け園地は荒廃してきました。
その様子を憂いた小倉常吉氏は、私財を投じその窮状を救いましたが、氏の亡き後、「文化的な資源として公が維持することが好ましい」という遺志により、昭和13年東京市に寄付されました。また、昭和20年の東京大空襲により園は全焼しましたが、戦後、地域有志による「名勝向島百花園復興協賛会」の尽力もあり、24年には都内で一番早い復興庭園として開園することができました。
このように向島百花園の歴史は苦難の歴史でありましたが、同時に多くの人々の暖かい尽力に支えられてきた歴史でもあります。そして百花園は、向島という地域の歴史や文化を語る上でも欠かすことの出来ない存在であり、地域の大切なシンボルでもある言えます。
近年、向島百花園のある向島のまちには、多くの若い芸術家などが集まり、人々のふれあいが残るまちの中から、地域の人々と一緒に新しいまちをつくる活動を進めようとしています。そうした集いの中から、向島百花園の200周年を祝おうという声が挙がり、この度、より多くの皆さんの賛同を得て、その歴史を振り返り、また、真に庶民の庭としてふさわしい行事を開こうということになりました。
以上の趣旨をご理解いただき、百花園200周年の記念行事にご賛同をお願い申し上げます。
|